為さねば成らぬ何事も

自己対峙やその他をつらつらと

怠学、現実逃避の背後に立つ未来

今日は日曜日です。そして、明日の祝日を挟み、次の日は終業式です。

高校一年生の生活がここで終わり、四月から私は二年生となります。一年間を振り返ってみると、本当に自分は何もしませんでした。現実逃避を続けた空白の中学三年間。そして私は新しい高校生活の一年間を、また無駄にしました。

 

私の高校生活は決して環境による苦はありませんでした。中学と違い、素行が悪い生徒はいないし、地元の人間が集まる高校ではないので、新天地で転校による疎外感を味わうこともありませんでした。担任の先生にも恵まれ、新しい価値観に出会い、毎日衝撃を受け、私が「当たり前の生活」を送っていたなら、間違いなく充実した一年間になったはずでした。

 

結局変われていなかったのは自分でした。

 

自分はまだ逃げていると思います。中学一年生のとき、転校直後、自分がクラスに受け入れらない疎外感から現実逃避に走り続けて、それがまだやめられない。その時は本当に苦しかったから、その時の現実逃避は仕方がないにしても、環境が改善した高校生活では話は別です。今の自分は、中学一年生のときに覚えてしまった現実逃避の"楽さ"に虜になっているのだと思います。

 

私には言い訳ならあります。

「誰も私を見ないし、私は誰の前でもありのままの自分でいられない。まるで自分が透明人間のようで、自分は生きているのか死んでいるのかわからない!」

 

全く、情けない話です。私を誰も見ないのは当然です。現実を放棄し、現実で何もしないヤツのことを誰が見てやるというのでしょう。現実で生きていない、何も持っていないヤツに価値はないし、そもそも誰かに見てほしいというのなら、現実で能動的に動くべきです。現実逃避をしていながら、この言い分。とても矛盾しています。

 

私はまだ現実が受け入れられません。それが自分で自分の首を絞めているというのに……

 

現実逃避は辛いですが楽です。現実逃避とは精神と肉体の両方を自分で傷つけ、その代わり分泌される脳内麻薬で亡霊のように生きることです。私の場合、昼間は「無価値で無意味な答えのない妄想」で頭の中を埋め、家に帰ってくると何かに脅迫されているかのようにパソコンに張り付く。そして心体ともに疲れ果てたら死んだように眠る。どこにも現実が触れる余地はありません。とても人間の生き方とは思えません。死なないために最低限でも自分の生活さえまわっていれば、これは半永久的に持続可能なものです。

 

しかし現実では無慈悲に時間が経っていきます。私は文理選択、進学するコースの選択を迫られています。実際は文理選択以外は学校側が学力差に応じて勝手に振り分けるものですが、中学と合わせて四年間怠学し続けた私はきっと一番下のコースになるでしょう。誰よりも努力し、私のために尽くしてくれている、今年67歳にもなる父の思いを、私はむざむざと踏みにじっていました……

 

私が気づかないうちに、こんなに図体ばかりデカくなっていました。やりたいことも、やらなければならないこともたくさんあったはずなのに、今の自分には本当に何もない。過去に何もないせいで、今の私の背中を押してくれる自分自身の力が私には何もない。勉強机の前に座るとつくづく思うのです。最初の一歩とは、こんなに苦しいものなのかと。生きることとは、現実逃避の辛さと同じ、もしくはそれ以上の苦痛を伴うものなのではないかと。

 

でも私はわかっています。一生懸命生きている人たちがとても輝いていること。一瞬一瞬を全力で生き抜く人たちの周りに自然と人が集まっていくことも……

 

私の担任の先生のお話にこういったものがありました。

「人は常に後ろ歩きをしている。過去を自分の眼で振り返ながら、誰もが未来に向かって手探りで進んでいる。そんな中で、自分の進むべき道をどのようにして探すのか。その答えの手掛かりは自分の過去にある。どんな小さなことでも構わない、自分が過去にどのようなことを成してきたのか。それが積み重なったとき、自分が少しずつ見えてくる。それが未来への道標となる」

 

初めて私がこの話を聞いた時、私もまったくその通りだなと思いました。これを聞いたのは高校一年生の四月のこと。それにも関わらず、何も成さず積み重ねてこなかったそのしわ寄せが、報いが今になってやって来たということなのでしょう。理屈では理解できても、私のそれは真の意味ではなかったのでしょうね。

 

長年続けた現実逃避のせいで、正直、生きた心地がしていません。現実と向き合うことが、究極の孤独に思えてなりません。確かに、現実とかけ離れた幻想の世界との関係を絶ち、裸で現実に放り込まれるわけなので、あながち間違ってはいないと思いますが……いまの私では人間的に誰にも勝てない。私の盲目では未来を探し出すことなどもっての外。それでも、人生の選択は私などお構いなしに迫ってきます。

 

もう迷っている暇はない。

私は未来への未知の一歩を踏み出さなければならない。

どうか、その足を、動かせッ……!!!

 

終業式が終わると春休みです。最後のチャンスです。最後の纏まった休み、ここで自分が何をするかにすべてが掛かっています。今何をすべきか、自分の使っている時間は、有意義なものであるか、それとも無価値か……たかが勉強、されど勉強。この選択はきっと重くつくことでしょう。

 

無責任な過去の自分が、未来の自分に向けて贈る言葉

未来の自分に責任の一切を放り投げている私が言えたものではないけれど、どうかこの選択で”後悔”することのないように。